こんにちは、少人数制マンツーマン個別指導のパソコン駆け込み寺♪
「ディードットステーション下中野教室」の田邉です。

暖かくなったら、また寒くなったりと…
ハッキリしないお天気が続いていますが「岡山」でも確実に「春」が近づいて来ていますね。


以前、僕が勤めていた会社に「身体」ではなく「知的障害者」の方も数名働いていました。
会社では管理職というものがどの企業でもありますが、その時の「常務」(常務は2~3年で変わりますので…)が素敵な考え方の方でした。
「知的障害者」の従業員にも「管理職制度を作る!!」
といっても通常の業務の中では難しい…
だから、工場の中の庭の「お花部門」「部長と副部長」
「清掃部門」「部長と副部長」
ウサギを飼っていたのでいたので「うさぎ管理部門」「部長と副部長」
勿論、通常業務が始まればお仕事はキチンとしていただきます。
だから、会社の中は「管理職だらけ(笑)」

「仕事」「生活」の中で困ってることなどを「知的障害者」の方とは、管理職の方が「交換日記」を週に2回やり取りする方法を取っていました。
僕もやり取りをしていましたが、その中でその「知的障害者」の方たちが生き生きと活動する変化を目の当たりにしました。
通常業務開始は8:30から。
でも「お花部門」の方は早朝7:00くらいに来られて、お花の手入れをしたりお水をあげている(勿論、自分の意志で)
「清掃部門」「うさぎ管理部門」の方も。
時間外手当は発生しません。
でも、みんな手を抜かず一生懸命作業していました。
「交換日記」の中で「どう?」って聞いてみると「楽しくてたまらない」「私がいないと花が枯れちゃう」「工場が汚くなる」「ウサギが元気がなくなってしまうし、私がやらないと…」といった思いを綴られていました。
素晴らしい事じゃないですかね。
僕が思うに「責任を与えられた喜び」だったのかもしれませんね。

ある時、ちょうどこんな時期。
「もうすぐ春だね」なんて「交換日記」でやり取りをしていて、氷が解けたらどうなるのかな?って書いた事がありました。
その中の方が「氷が解けたら春が来る」って書かれた方が居られました。
誰もが「水になる」という回答が殆どだと思います。
感動しました!!
「常識ってなんなのでしょう!?」
「氷が解けたら春が来る」凄く素敵なフレーズだったし、繊細で心温まる体験をしました。
「笑う人は笑うかもしれない」でも僕は素直に感動したし、自分を色んな意味で見直すキッカケを頂いたのも事実です。
そんな体験をこの時期になるといつも思い出します。
もうすぐ素敵な「春」がやってきますね。


今日のBLOGのタイトルは『走り続ける!!』

僕の仲間をご紹介します。
詳しく言うと「昔、一緒に戦った仲間」といったところかな…
彼の名前は「松永 仁志」
車椅子陸上のトップアスリートであり「北京」「ロンドン「リオ」パラリンピック「3大会連続出場」のパラリンピアン!!


出会ったのは約20年くらい前だったかな…
僕自身も「車椅子バスケ」「車椅子マラソン」を当時やっていて、僕が始めた1年後くらいに「彼」が始めたほぼ同期。
今では「TV」「新聞」などのメディアで目にされた方も多いはず。
今では「有名人」になった彼。
「リオパラリンピック」の前に教室に遊びに来てくれました。
約10年ぶりくらいの再会。
お互い出会った頃は20代(トンガっていた時期だ(笑)
「オリンピック」「パラリンピック」「プロ野球」などの各アスリート。
僕たちはその方たちを「特別な人」として見てしまう…

本当に「特別な人」なのでしょうか!?
今日は、そんな彼のお話しを…

その頃は「車椅子バスケ」「車椅子マラソン」をセットで両方やっているというのが何故か「定番」といった頃。
「車椅子バスケ」は団体競技
「車椅子マラソン」は個人競技
お互い同じように仕事とスポーツを両立しながらやっていました。
現在のように「パラリンピック」がそんなに注目されてもいなく「世界」というのは、どちらかというと「ピン」と来ない時代だった。
「プロ野球選手」「メジャーリーグ」に挑戦するのが今では当たり前のようになっている感覚と似ているかな?

とは言っても「遊び」感覚ではなかった。
練習は常にハードなトレーニング、週末は「バスケ」「マラソン」の遠征でシーズンに入ると毎週のように「遠征」「練習」
「車椅子バスケ」
では国内で一番大きな大会「内閣総理大臣杯」の出場権(中国地区1位のみ:出場チーム8チーム)
「車椅子マラソン」では各地で大会が「バスケ」のようにあるが国内唯一の国際大会でもある「大分国際車椅子マラソン大会」
そこで勝敗や記録を出す事が「最終目標」のような感じでした。

彼は「俺は障がい者スポーツで世界を目指す!!」と、その頃言っていました。
元々「ビッグマウス」のトコロがあったので…(笑)
周りの僕たちは「お前、何言ってんの」って感じでただ流して聞いていたと思い出します。
彼は世界を目指す為、バスケットを辞め陸上競技を選択しました。
その頃、誰が彼の「世界への夢」を想像したでしょう?
「無理に決まってる」「口だけだ」と言っている仲間の声も聴きました。
なぜなら、彼は車椅子マラソンの世界でも岡山県でも№1でもなかったからです。

一緒にやっていた頃の「大分国際車椅子マラソン大会」の時の戦績を載せておきましょう。
お互い最初は「ハーフマラソン」21.097キロで出場、チカラを付けて「フルマラソン」に挑戦するという流れがあり、世界ランキングトップの選手も参加します。
お互いデビュー戦といったところです。

http://www.kurumaisu-marathon.com/contents/record/001/012half.html

288人中「僕は37位」
彼は「88位」
誰が世界を意識したでしょう!?
勿論「ハーフマラソン」なので同大会で速い先輩たちは「フルマラソン」に出場しています。
僕が「岡山県のランナー」の中で大体5番手くらい…
その中でも「彼」は全くと言ってもいい程の無名選手。
「世界」という言葉に誰も耳をかさなかったのも当然と言えば当然でしょう。


彼の「挑戦」は、そこから始まりました。
毎日毎日、雨の日も風の日も走り続けました。
GYMでの「筋力トレーニング」も欠かさず「自己管理」も徹底的に、僕らの知らない彼だけが見えていた景色に向かって…
数年が経ち、いつしか彼はメキメキと頭角を表し僕らは一瞬にして抜き去られました。
でも彼に「笑顔」はなかったのを今でも覚えています。
岡山でトップになった彼は当時、車椅子陸上では「大分県」がトップクラス。
彼は仕事を終えた後、毎週末「大分県」まで車を走らせ練習に参加していた。
その距離「往復1,000㎞」
彼が目指していたのは 「世界」 だったのでしょう。

今では「東京オリンピック/パラリンピック」も近づいてきている事もありますが、当時は障がい者スポーツは健常者スポーツと違いまだまだ認知度が低い。
オリンピックは文科省、パラリンピックは厚労省。
遠征費用も殆どが自己負担、厳しい状況をどれだけ乗り切ってきたのでしょう?
「彼」は自らスポンサー契約に走りNPO法人を起ち上げ、サポート体制を何もないところから始めていきました。

そして、彼は夢を掴みました!!
北京パラリンピック/ロンドンパラリンピック/リオオリンピック=3大会連出場!!
20年前の仲間の誰が想像してたでしょうか?
彼は、障がい者スポーツから本物の「アスリート」になりました。

彼が教室に遊びに来てくれたのは「リオパラリンピック」の選考中。
世界を飛び回り、勝ったり負けたりの繰り返し…

彼はその時言っていました。
夢も目標も言葉で伝えよう。
「有言実行」
言葉は行動に変わり、新しい自分に出会える!!

目標を持って頑張れば ”夢” は叶う!!
そう、教えられたような気がしました。
お互い40歳を超えた僕に、丸太のような太い腕で彼は笑顔で答えてくれました。
「田辺さん40歳をお互いいつの間にか越えちゃいましたが、まだまだ戦えます!!」
「お互い道は違っても、頂点目指して頑張りましょう!!」と…


僕からしたら自慢の仲間だ。
TVで中継を見て家族で必死に応援した。
結果は予選突破とはいかなかったが、そんなことは要らない。
800メートル予選後のレース後のインタビューの中で彼はこう語っていました。
インタビュアーからの質問後、16秒の沈黙のあと「…まだまだ、道のりは遠いですね…」と。

アスリートとして、リオパラリンピック陸上のキャプテンとして、簡単な言葉では僕も誰も言い表せれない…彼のみぞ知る「思い」があったんでしょう。
現在、彼は株式会社grop sicerite(グロップサンセリテ)という企業のWORLD-AC(ワールドアスリートクラブ)に所属し、選手兼監督として後輩育成にも力を注いでいます。
またNPO法人「桃太郎夢クラブ」で障害のある子供達に「夢」を与えたいと自らが指導する活動も行っています。
各種講演会で全国を回り様々な活動を行っています。
松永仁志オフィシャルサイトを貼り付けておきますので興味のある方は是非!!
http://hitoshi-matsunaga.com/

さて、僕が知っている部分だけをまとめて綴ってきましたが「彼」に皆さんにはない特別な能力があったでしょうか?
センスが凄くあった訳でもない(デビュー戦は88位です)
今ではハーフ部門に関しては総合1位の実力です(国内1位ではなく世界の強豪を抑えてです)
今は筋肉隆々の肉体ですが、始めた頃の「彼」は身体の線も細く、筋肉も付きにくい体質でした。
障害の体幹も決していいとは言えません(腹筋、背筋は麻痺しているため、競技の中でも他の選手よりもハンディが多い)
それでも「彼」の中に言い訳はありません。
「言い訳する時間」があるぐらいなら「練習する時間」に回すと彼は答えます。

年齢も「43歳」という事を「言い訳」にはしません。
確かに「43歳」僕がその年齢の時にはすっかり引退していたし、他の競技者の方も殆どの方が引退しています。
今後の動向については語ってはいませんが、現在も今までと変わらず「競技」「練習」を続けています。
おそらく彼の中に「2020年 東京パラリンピック」が見えているのだと僕は思います。
「彼」「挑戦」はまだまだ続くと思っています!!
彼は彼のステージで、僕は僕のステージで…
皆さんは皆さんのステージで。
皆んな違って、皆んないい!!

誰しもが特別な能力を持った人間はいない。
「夢」「目標」に向かって「七転び八起き」
「夢」「目標」は人を強くする。
「夢」がないなら、そこから始めればいい…と僕は思います。


「頑張れ松永!! Go for it!!」


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