こんにちは、少人数制マンツーマン個別指導のパソコン駆け込み寺♪
「ディードットステーション下中野教室」の田邉です。

5月も後半に入りましたね。
前半はGWの大型連休もあり、連休明けのお仕事では皆さん「ギアチェンジ」が大変だったのかもしれないですね。
僕もGWはカレンダー通りの営業日で休日が多かったのですが、普段溜まっていた仕事で殆どが仕事(笑)、1日だけ仲間とBBQで楽しんできました。

僕がここ「ディードットステーション下中野教室」を始める以前のある「出会い」のお話しです。


大手電機メーカーを退職し、当初すぐに自営の仕事を始めようと計画していましたが、なかなか「資金調達」に手間取っていて自分の中でも「バランス」という面でどうもしっくりと来ていませんでした。
そんな時、前の会社の上司に相談してみたところ、ある会社を紹介してくれました。
それが僕がこの教室を始める前に3年間働かせて頂いた会社です。
同じく「工場」でしたが以前、大手電機メーカーに勤めていた際の下請け会社でした。
とはいっても、スポットで依頼をしていたので関連会社でもなく僕自身は部署の関係もあり殆ど知らない状態でした。

その会社に連絡し「社長」と面会。
「会社」はお世辞にも綺麗とは言えない「超零細企業」
その時は真夏でしたが「冷房」も全く効かせてなく工場内は蒸し風呂状態。
「社長」と面談開始。
僕の胸の内を全て打ち明かしました。
「僕はこの会社でずっと働くことは考えていません」と将来の考え方「資金調達の為」「自営への夢」を…
今から考えれば「無茶苦茶」ですよね。

その時の「社長」のお話しはこうでした。
「そうか、ワシも39歳でこの会社を始めたんや」
「以前、岡山ONKYOという会社の工場長として働いていたが不景気に飲み込まれ会社が倒産。そこでこの会社を大きな借金をして買い取った」
「見ての通り、吹けば飛ぶような零細企業だが君は「夢」を叶えたいんか!?」
「はい!!」と僕。
だったら「正社員」としてではなく「アルバイト」として働いたらどうか!?
「今、君が以前やっていたような仕事が急に入ってきて下請け会社も手が付けれない状態、仕事は夜中まであるくらいや」
「アルバイトの方がやった分だけ手当は出せる」
「君の話しは●●君(僕の以前の上司)から聞いてる」
夜中までは慣れたもの(10年も前なので今でいうブラック企業なんて言葉もなく)早速、次の日から出社!!

いくら一生は働かないといっても「仕事」「仕事」
翌日、いきなり下請け会社にパートさんを連れていき、研修。
僕はそこの「リーダー」というカタチで下請け会社さんとの打ち合わせ。
入社翌日から…
これも今から考えれば無茶苦茶だ(笑)
まぁ、同様の仕事をしていたので違和感もなく要領も分かっていたので特に困った記憶はありませんでした。

仕事はキツく、帰りは毎日「深夜」
一番最後まで上司の方たちと帰宅してましたね。
会社の規模は約40名程の工場。
夏はエアコンはなく、冬は暖房もない。
これが「零細企業」の実態なんだなと感じながら「仕事」をしていました。
そこで僕は大きな勉強をさせて頂きました。
以前は誰もが知っている「大手電機メーカー」
「冷暖房完備」「バリアフリー」「福利厚生」すべての面で「守られている」といった感覚が当たり前でした。
そう、僕は「井の中の蛙」だったんですね。
バックの「看板」に守られ狭い世界の中で「自分は何でも出来る」くらいの「錯覚」に陥っていたんですね。

僕はその会社で「社長」「商売」「経営」というものの「いろは」を教わりました。
それは「お金」とかそういった類のモノではなく「人として…」の考え方が殆どでした。

働いているパートさんは70歳を超えている方も居られました。
ハッキリと言うと、既に戦力には劣ります。
何故、そういった方をいつまでも働かせているのかなと疑問になり「社長」に機会があった際に聞いてみた事がありました。
すると「社長」はこう答えました。

「会社を設立した20年前の頃、最も苦しかった。
その頃、辞めていった人が殆どだった。
その時に彼女らは会社に残ってくれた、そして残業手当も払えないのに承知で会社を助けてくれた。
今の会社があるのは彼女らのお陰なんだ、田邉君」
「だから彼女らが今の年齢でも出来る仕事を取ってきてあげんとワシは、まだ恩返しが出来とらん…」
とも。

こんな事もありました。
「リーマンショック」の最初の頃です。
それまでは仕事は忙しく「派遣社員」を数名お願いして補充していました。
リーマンショックの余波が段々と厳しくなり「孫請け」だった会社は「下請け」会社に仕事を戻すようになっていかざるべき状況で「経営状況」もかなり深刻化してきました。
「派遣社員」に辞めて頂くしかないという状況の時でした(当時、10名程でしたかね)
皆、食堂に集まってくれという指示で集合。
「社長」自ら現状の説明。
社長が口にされたのは「ワシが不甲斐ないからこんな状況になってしまった。
派遣社員の方々、本当に申し訳ない」と深々と頭を社長自ら頭を下げられました。

正直、ビックリしました。
僕が前に行っていた会社では派遣会社の担当に上司が伝えるだけ。
僕らは個人に「ご苦労様でした」と軽く言葉を掛けるだけ…
要は悪く言えば「使い捨て」の感覚がいつしか当たり前になっていた。


だから、この会社は強いんだ!!
本当の強い体質の会社は「看板」でも「人数」でもなく「人」なんだと。
それからも「社長」には色んな事を教わりました。
僕がこの記事で冒頭に「バランス」というワードを使いました。
それも「社長」から教わった事です。
「田邉君、起業しようと思えば誰でも「お金」があれば出来る」
「でもお金だけでは必ず失敗する」
「お金」「自分の気持ち」「タイイミング」この3つの「バランス」が自然体でやってくる時期が来る。
「そのチャンスを見逃したらいかんぞ」と教わりました。

リーマンショックの余波が残る10年程前の丁度今の時期、僕はその会社を自分の意志で辞めました。
可愛がって頂いた「社長」に挨拶に行きこの「ディードットステーション下中野教室」を始める事をお伝えしました。
社長は黙って頷いて「そうか、頑張れ!!」と言って下さいました。
そして、こうも仰って下さいました。
「君がこの会社に来て新しい「風」を吹かせてくれた。会社はいい方向に変わり「せがれ」も変わった。有難う、田邉君」
とまだまだ若僧の僕なんかに深々と頭を下げてくださいました。

せがれ、社長の息子さんもそこで働いていました。
年も同年代、ウマも合って意気投合。
その彼が今の僕らの仲間の一人です。
GWのBBQはそいつの家の庭で10名くらいでやりました。
そこには10年前と変わらない「社長」が居られました。
「再会」


暖かく迎えて下さり僕の「現状」「ご自分の現状」を話してくださいました。
そして僕が話すとゆっくりと頷き話し始めます。
あの頃と同じように…
その笑顔はあのときのまま、厳しくも優しい眼差しでした。


「井の中の蛙」とは皆さん良く使いますね。
実はその続きがある事を知っていましたか?
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さ(青さ)を知る」だそうです。
「狭い世界に生きて広い世界のことを知らない」という意味のことわざですが、実は後になって「されど空の深さを知る」という続きが作られたそうです。
狭い世界にいたとしても、空が雄大なことは知ることができるといったところなのでしょうか…

これも「社長」に教わった言葉です。
「社長」も今では70歳!!
バリバリの現役です。
僕らの仲間はこの「社長」が皆、大好きです!!
別に仲間は「社長」の会社に勤めていた訳ではありません。
「息子」の仲間達です。
「経営をしているものも多いがサラリーマンもいる」
経営が厳しくなった時「社長」「バイト」として短い期間でも雇って頂いた奴もいます。
僕らは色んな話しを「社長」から教えて頂いています。

「人の出会い」とは不思議なものです。
「社長」は言います。
どんな仕事「製造」でも「カルチャースクール」でも「料理」の世界でも…
「木の根っこは皆、同じだと…」「最後は人」だと。

僕は勝手に思います。
「色んな方に出会わせてもらって自分は恵まれているな」と。
親父やお袋に育てられ、いつしか子供を持つ立場になった。
「親」になったのではなく「子供達」「親」として育てられてもらってるんだなと…

10年振りの「再会」「感謝」でいっぱいの日であった。
そんなお話しでした。
最後まで読んで下さった方、有難うございました。
皆さんにも素敵な「出会い」「再会」が訪れますように…


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