『僕の幼少期 Vol.1』
こんにちは、教室責任者の田邉です。
今回、HPをリニューアルにより、BLOGのの中に「僕の幼少期」という
カテゴリを新たに追加しました。
特に深い意味はありません(笑)
僕自身、1970年生まれの万博の子です(若い人には分からないかな?(笑)
僕はあまり自分を飾るのは、性分ではないし別にこのBLOGをとおして
僕はこんな人間だっていう思いもありません。
今日は僕の軽い自己紹介みたいなことを書いてみようと思います。
今後は、僕が中学生だった頃のお話しを中心に書き綴っていこうかなと思っています。
まぁ、ゆるりと書いていますので興味のある方は気軽な感じで読んで頂けるといいかなと…
今日の投稿は、僕が高校を卒業後の18歳の時に交通事故で車椅子の生活になり、
今年の夏の休日、その現場に30年ぶりに行った時のお話しからです。
その時に僕が感じたことを書いています。
まぁ、軽い自己紹介みたいなもんですね(笑)
拝啓、30年後の君へ…
30年前の昨日、君は大きな交通事故に遭ったね。
君は、まだ気づいていないだろうが、これから自分の足で歩くことは一生できないんだよ。
酷なようだけど、これが君の運命なんだ。
人の人生なんて一瞬で変わる。これが現実なんだ…
受け入れれるかな、逃げ出すか?
それは、僕にも分からない…
30年後の君はどうしているんだろう…
拝啓、30年前の君へ…
もう30年も経ってしまったんですね。
30年前の昨日も同じ日曜日でしたね。
今日みたいに暑い日で、晴天。
事故をして、初めて現場に行ってきました。
ほとんど通った道ではなかったので、何度も迷いながら確かこの辺りだったような…
30年前は大きな河に感じたが、こんな小さかったっけ…!?
よく、こんな小さな河に空中で車が回転しながら、すっぽりはまり込んだもんだ。
道路標識を居ると見ると40キロ規制。
それを時速120キロで走っていたんだから、そりゃ大きな事故につながりますわな(笑)
ラッキーだったのは、他人を巻き込まなかったことは良かったと今は思ってる。
あれから、30年…
色んな事があったよ。
1年間の長い入院生活…勿論、君が言う通りまた自分の足で歩けると当然のように思ってた。
車椅子の生活を告知されたのは半年が経った頃だったかな。
当然「絶望」の一言しかなかったよ。
「身体がどうなっちまったの!?」「なんで、お俺だけ…!!」
でもさ、色々あって30年が経った。
元気にそれなりに幸せにやってるよ。
病院を退院後、職業リハビリテーションの学校に行き、近くの大手電機メーカーの
重度障害者多数雇用事業所へ就職。
そこで、車椅子バスケット、車椅子マラソンに出会って諦めない気持ちを学んだよ。
勿論、仕事と両立しながらは大変だったけどお陰で、根性だけは付いた(笑)
カミさんと出会い、結婚し3人の子供にも恵まれ家族5人と、まぁ幸せにやってる。
上のお姉ちゃんは、いつの間にか大学生。
下の双子は今年で中学生の受験生になったよ。
反抗期で色々あるけれども、まぁ、あいつらなら大丈夫だろう。
散々迷惑かけてきた親父やお袋も元気にやってる。
今は、カミさんと一緒に岡山で小さなパソコン教室を運営してる。
なかなか、思うようにいかない時もあるけれども、沢山の生徒さんに囲まれてカミさんと力合わせてやってるよ。
30年前の君へ…
逃げ出したことは一回もないよ。
7月17日は、自分にとって2度目の誕生日だと思ってる。
僕は、あの場所で一回 ” 死んだ ”
だから、2回目を楽しんでるんだ。
だから、もう心配はいらない。
自分の足で十分立っているからさ。
これからも、自分の足でまだまだ走り続けるから…
ふと、空を見上げたら、30年と同じように真っ青な綺麗な青空が広がっていた。
最後に。
30年前の君へ…
こんな人が経験できない経験をさせてくれて有難う。
大きく羽ばたける翼をくれてありがとう。
最後まで読んでくださった方、有難うございます。
次回からは、僕のガキだった頃のお話しを…
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