『執着を捨てる』
こんにちは、少人数制マンツーマン個別指導のパソコン駆け込み寺♪
「パソコン駆け込み寺 岡山下中野教室」の田邉です。
いきなりですが皆さん「自分の思ったように事が上手くいかない」
「いくら頑張っても報われない」なんて思った事はありませんか!?
多分、僕も含め殆どの皆さんがそういう思いを持ったことがあると思います。
僕には有難いことに沢山の友達が居ます。
「Facebook」などでまだ会った事はないけれども、相談にのって下さるお友達もいます。
友達はいくら多額のお金を払っても買えないと僕は思います。
まだ会っていない友達、これから会おうと約束してる友達、毎日ではないけれども頻繁に会う友達、十何年ぶりに会っても昨日会ったように会話が出来る友達、今後出会う友達。
そんな友達との、たわいもない話しの中から色んな事を、学んだり勉強になる事をいつしか教わっています。
「自分の思ったように事が上手くいかない時」
「いくら頑張っても報われない…」
ちょと、ここで変(?)なお話しをします。
変なお話しといっても怪しいお話しでも何でもありません。
僕は「宗教」というものに特に関心はありません。
信仰宗教に入っているような事もありません(笑)
宗教というと、一部の新興宗教などでは
信仰を強制されるような印象もあり、
そういう意味で敬遠したくなる人も多いかと思います(僕自身もそうでした)
ところが今回、仏教の教えを学んでみて、
思っていたよりもかなり科学的かつ論理的な
教えなんだという驚きを感じました。
僕のFacebookの友達でお寺の女性の僧侶の方が居られます。
その方のBLOGで勉強させて頂いたり、他にも友達やウチの親父に聞いてみたりと…
そういった事を少しまとめて自分やモノの考え方などをまとめてみました。
■ 「人生とは「苦」である」
仏教では、人生を「一切皆苦(いっさいかいく)」と
捉えており「人生は全て苦しみだ」と書かれています。
いきなり身も蓋もないようですが、
言われてみると確かにそうかもしれません。
仏教では、人生を8つの苦しみに分類しています。
(1) 生苦(せいく):生まれる苦しみ
(2) 老苦(ろうく):老いる苦しみ
(3) 病苦(びょうく):病気になる苦しみ
(4) 死苦(しく):死の苦しみ
(5) 愛別離苦(あいべつりく):愛する人と別れる苦しみ
(6) 怨憎会苦(おんぞうえく):憎い人に会わなければならない苦しみ
(7) 求不得苦(ぐふとくく):物質的・精神的を問わず、欲しいものが得られない苦しみ
(8) 五取蘊苦(ごしゅうんく):人間存在そのものが感じる苦しみ
「四苦八苦」という言葉は、
この8つの苦しみが語源らしいです。
■「苦」とは「思い通りにならないこと」
仏教では「苦」を「思い通りにならないこと」と捉えるそうです。
つまり、人間が苦しむのは、
「思い通りにならないことを、思い通りにしようとする」
からです。
では、苦しみから逃れるにはどうすれば良いかというと、
「思い(執着)」を捨てれば良い」ということになります。
■「自分への執着とモノへの執着」
我々を苦しめる「執着」には2種類あるそうです。
1つは「自分への執着」もう1つは「モノへの執着」です。
(ここで言うモノとは、物質的なモノだけでなく感情などの精神的なモノも含まれます)
たとえば、人が怒りを感じて苦しむ時などは、
「自分」を軽んじられた時などです。
「自分への執着」が無ければ、
確かに心穏やかに過ごせそうです。
「モノへの執着」と言えば、思い浮かぶのは
「お金」や「恋愛感情」などでしょうか。
人はお金のために苦しみ、時には殺人までも犯して
これを奪い取ろうとします。
まずは「自分への執着」を捨てる。
■「瞑想」で執着を捨て去る」
「では、実際に執着から逃れるにはどうすればいいの?」
その方法は、ズバリ「瞑想」だそうです。
仏教では悟りの境地に至るまでを
「念(ねん)→定(じょう)→慧(え)」という3つの言葉で表しています。
「念」とは、同じことを何度も思い浮かべること。
「定」とは、心が落ち着いた状態。
「慧」とは、ものごとをあるがままに観察できている状態を意味しています。
つまり「一つのことを一心に念じ続けることによって、心が落ち着き、清浄になり、ものごとをあるがままに観察することができるようになってくる」ということらしいです。
「ON」と「OFF」というのもそうでしょう。
僕なりにパソコンLESSONの時のように例え話を出してみましょう。
大好きな「男の子」が居たとしましょう。
大好きで大好きで溜まらない!!
その人に気に入られたい…
あらゆる事をしてきました。
でも、あなたに彼は振り向いてくれません。
あなたは「彼」しか見えていない状況です。
それらは「自分を客観視できなくなり、見えるものすら見えなくなってしまいます」
逆にこういった事を犯罪に利用する事や事件がある事も事実ですね。
当教室の生徒の方でも居られますよ。
「早く覚えたい」だから毎日LESSONに来られます(それは別に何の問題もありません)
必死に頑張っています。
でも上手くいかない。
焦ってしまってドンドンと悪い方向に行ってしまっている。
「焦らなくてもいいんですよ」とお伝えしても「焦っていない」とお答えになります。
「脳」や「身体」が焦っているんです。
「毎日来ているのに何で出来ないんだろう!?」
「昨日、出来た事が今日は何で出来ないの!?」
こういった感じです。
焦ったまま次の章に入るので余計分からなくなってしまう。
一方、週に2~3回通われている方の方が淡々と覚えていく傾向があります。
僕が思うに「睡眠」をとる事や「忘れてて当然」くらいの感覚でやっておられます。
そう自然と「執着」してないんですね。
上記で僕のFacebookの友達でお寺の女性の僧侶の方が居られます。と書きました。
彼女のBLOGの中でこの記事から僕は「執着」する考え方を捨てようと考えるように教わりました。
『集諦(じったい)』
〇四諦の一つ
集諦(じったい)とは
苦しみの原因は
ものごとに執着した煩悩にあること
を理解することです。
煩悩は、我執(がしゅう)
「自己中心の考え、それにもとづく事物への執着から生ずると言われます」
何かにとらわれてしまう時は、視野が狭くなっているだけです。
~そんな時は、空や海を ただ眺めてみてください。
きっと、自分の小ささに気づけるはずです~
僕は思います。
何かを始める時には確かに「勇気」が入ります。
「頑張らないと…」「負けるもんか…」
確かにそういった事は必要かもしれません。
ただ、そこに「プライド」や「意地」は特に必要ないのかも知れませんね…
こういった事を知らずに実践している方もおられます。
そう「プラス思考」の方ですね。
「マイナスの思考」を思ったとしても「声」に発さないんですね。
「マイナスの言葉を発する事」でそのようになってしまいます。
「言うようになる」と「先人」が言っていたように…
「思い通りにならないことを思い通りにしようとすること」を無理やりやる事は苦しい事。
あなたの後ろを振り返って見てください。
いつの間にか大きな邪魔なものが身体の後ろに沢山付いて来ていませんか?
僕はこの考え方を教えて頂き、随分と心に余裕が出来たように思えます。
勿論やるべきことは沢山ありますが「計画性」を練り「自分を客観視」出来ているような感じがします。
あなたはきっと飛べるはず。
「羽があるのに飛べない蝶」になるのは勿体ない!!
今日はそんな考え方のBLOGをUPしました。
もし今あなたが「上手くいかない事」や「悩み」があるならば自分を少し「客観視」して見てください。
そこに「執着心」があるのならば、一度考えてみてはいかがでしょう。
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