『なぜ、日本人は働きだすと勉強しなくなるのか!?』Vol.2
こんにちは、少人数制マンツーマン個別指導のパソコン駆け込み寺♪
「パソコン駆け込み寺 岡山下中野教室」の田邉です。
先週から一気に寒くなってきましたね。
どうこう言っても今年も、残り10日ですもんね。
今日のBLOGは前回の続きです。
ちょっと、僕のお話しを少し…
以前にも少し書いたかもしれませんが、僕はあまり勉強ができる子ではありませんでした。
中学卒業後、高校に行く事も考えてなかったくらい(笑)
一応、工業高校に進学しましたが、いつ退学しようかと考えてたくらいの、今では少々困った子だったかもしれません。
親父は大工の棟梁でした。
棟梁と言っても聞こえはいいですが、一匹狼で今の僕と一緒で個人事業主ですね。
あまり裕福でなかった僕ら家族は団地のボロアパートで僕は中学2年生まで、そこで過ごしました。
なにせ、親父はいわゆる「職人気質」
勉強しろとは言われませんでしたが「男なら…」なんてことはしょっちゅう言われてたような気がします。
高校では部活動で「空手部」に所属しました。
岡山県では「山陽高校」という全国大会でも何度も優勝経験のある高校が常に「岡山県第1位」
僕が通っていた高校は、常に「第2位…」
先輩の代から、その構図が出来上がっていました。
格闘技は昔から好きで、僕に合っていたようでした。
高校はいつ、退学になってもおかしくないような事をしてましたが「空手」が支えてくれたのかもしれません。
1年生から先輩達の中からでも、主力選手となれました(指導してくれた師範、諸先輩方に感謝です)
でも、どうしても試合に行けば上位にはいけるが「強豪 山陽高校」には勝てない…
このままでは、負けっぱなし…
僕は同期や後輩に「山陽高校」の練習を見に行こう!!
そう切り出しました、すると皆んなの反応は「制服が違うからバレる」「ウチはウチのやり方で勝つ」「それは無理だろ…」
誰もが否定的…
考えた僕は工業高校なので「作業服を着て実習」
つまり、17歳くらいの作業服を着た男が放課後の学校の中をウロチョロしていても、誰も気にならないだろう…(笑)
時代も中学を卒業後、社会で働いている子も多くはないが、居る時代です。
同じ空手部員は一緒に行ってはくれません。
同じクラスの仲のいい友達と2人で電車に乗って、いざ「山陽高校へ!!」
放課後の「山陽高校空手部 練習場」を小窓から偵察。
すると「練習内容」に驚愕!!
「フットワーク強化のための縄跳び」「反復横跳び」「体幹トレーニング」「SPEED強化」etc.
「基礎トレーニング」から「実践トレーニング」までが未知の世界。
「あ~、これが全国レベルの練習か!!」
今までの練習では、勝てるはずがない…
僕は自分の学校に帰り、同じ部員に伝えました。
「これで戦える!!」
でも、皆んなの反応は違いましたね…
ちっちゃい頃から大の負けず嫌い(いいのか、悪いのか分かりませんが(笑)
放課後の練習はいつも通りで決まったメニューを繰り返します(朝練はありません)
「だったら、朝練でやってやろう!!」
そこから、一人ぼっちの朝練が始まりました。
「山陽高校空手部」の強者が通っている道場にも通い始めました。
結局、高校としては№2のまま終わりましたが、倉敷市では1位、岡山県3位までは行けました。
2年生で出場したインターハイ予選(個人組手部門)岡山県大会の準決勝で対戦した相手は3年生。
その先輩は昨年の全国制覇した方でした。
その選手との対戦では、僕の方が先手を取り追い詰める事は出来ましたが結局負けてしまいました。
人目も憚らず泣いた光景や、試合展開は今でも鮮明に覚えています。
その選手はインターハイに行き、全国制覇2連覇!!を達成しました。
今でも、可愛がって頂いています。
何も、パソコンや色々な資格だけが勉強ではないと思います。
僕の中では相手を研究し、実践したことも勉強ではないかと今になって思います。
その後、部活での寸止めの「伝統派空手」からフルコンタクトの「極真空手」の道場に転向し、
そこでも黒帯を頂きました。
高校卒業後、手に職を付けたかった僕は「内装業」の会社に就職(中学2年生の時から決めていました)
「5年後には、独立してやる」という目標を掲げました。
会社は「面接」のみで、新入社員は7名もいました。
社長から、通常4/1からの入社式だが、やる気のある奴は3月の高校卒業後からでもいいと言われ、
僕は卒業後の次の日から会社に行きました(勿論、給料はありません)
7名の中で、僕ともう一人の2名だけでしたが…
勿論、最初だから何も出来ません…
職人さんと現場に付いていき下デマ作業ばかり…
けれども「作業の流れ」「段取り」「簡単な作業」はやらせて頂きました。
見る事も「大切な勉強」
会社の2階は訓練する練習スペースもありました「パテ打ち」「クロス張り」「床」
内装のクロスは張る前に、パテ打ちという作業があります。
パテ打ちとは、クロスを貼る前に行われるクロス下地作業のことで、石膏ボードや構造用合板の継ぎ目の溝や傷を埋めて、
クロスがキレイに貼れるように壁を平滑化させることが目的です。
現場に連れてもらえない時、仕事が終わった後は新人2名で練習します。
先輩職人から叱咤激励されながら勉強します。
「教えて頂けることに感謝だぞ」と他の先輩職人からも言われました。
「教えてもらうのが当たり前の時代」ではなく「技は盗め」の時代だったからです。
「給料まで頂いて、しかも技術も教えて頂ける」(3月分は本当に給料はなかったですが(笑)
4月に入り、入社式を迎え新入社員7名が全員が揃いました。
僕ともう一人は1ヶ月でしたが、色んな事の基礎はまだまだプロには程遠いものの、全くのゼロではなかったですね。
全員が揃った7名の中で、僕ら2人はSTARTから確実に違っていましたね。
4月に入っても現場が終わった後、帰る人。
残業手当なんて「職人見習い」だから練習してても出ないのは当たり前!!
今の時代にそんな事言えば叩かれる時代になりました。
そこでも「勉強する人」と「勉強しない人」
その頃は「勉強」といよりも「早く職人として稼ぎたい」の思いだけでしたけどね。
その後、僕は交通事故で「1年間の入院生活」「車いす生活」となったわけで「内装業」の仕事は諦めざることとなりましたが…
その後、ご縁があって皆さんも知っている大手電機メーカーの特例子会社(重度身体障害者雇用事業所)に就職しました。
重度身体障害者雇用事業所といっても工場の人数は、全体で約130名くらいで障害者の従業員が約30人くらい…
仕事も通常の作業と同じです。
最初は流れ作業の中での業務でしたが、1年くらいでリーダーになる事が出来ました。
そこでの業務は「作業指導」「工数計算」「作業改善」「チームマネジメント」が主のいわゆる昔の「班長さん」の下で、
チームを円滑に動いていくようにあらゆる事をしていく役割です。
今では「マネージャー」とか「チーフマネージャー」なんて言い方に変わっている会社もありますね…
そこで、リーダーからは「教育訓練制度」があり大阪本社近くの教育訓練センターで、様々な「講習」や「勉強会」を
受けるようになります(会社から半強制的に…)
来年には工場が閉鎖となってしまいますが、岡山工場の方でも「各種教育訓練」や「勉強会」「社内検定」などが実施されます。
そう、常に「勉強!!」でしたね。
そこでも「2通り」の人が居ました。
「会社がお金を払ってくれてしかも勉強出来るから、ぜひ参加したい!!」
「行きたくないが、強制的なんで面倒だが仕方ない…」
「とりあえず、面倒臭いが行ってこよう…」
「勉強したことを、仕事に活かしてスキルUPしたい…」
しかし、残念な事に僕みたいな身体障がい者の「バリアフリー」対応ではなかったんですね。
後輩や同期の社員は行けている。
学生時代は全くといっていいほど「勉強」したくなかった僕ですが、会社に入ってからは、
生産ラインを円滑に回す仕事や「マネージメント」「QC」(Quality Control(品質管理)」「5S」
「設備使用試験」「有機溶剤 資格」「国家検定」etc.
「パソコン操作などの社内検定」も含め「Power Point」を使っての「QC成果発表会の全国大会」などの
社内大会の出場もあります。
が、ひとつ問題が発生…!!
当時は、僕らみたいな障がい者は、研修や出張が出来なかった。
というか、バリアフリーではないため何かあった場合に「会社側が困る」という風潮がありました。
僕よりも後から入ってきた後輩は「研修」や「出張」が出来る、僕を含めて障がい者の社員は出来ない。
特に「車椅子」では…
でも僕はその頃「車椅子バスケ」や「車椅子マラソン」で週末になれば中四国中心に、九州、関西、
関東まで、試合で飛び回ります。
特にバリアフリーがなくても、新幹線も電車にも乗るし、車も下肢障害の為の改造も行っています。
諦めたくない僕は上司に「障害があっても健常者と同じように研修に行かせてください」と相談しました。
最初は戸惑っていた上司も、まず大阪の研修センターに健常者と2人でなら…
そんな感じで初めての一泊二日の研修に参加。
研修者は研修センター内の、一部屋4人のいわゆるタコ部屋で寝泊まりします。
僕の場合は階段だらけだったので、1階の別部屋を用意して頂きました。
研修時や、食事の際も簡単なスロープはあったので、特に困る事もありませんでした。
研修センターに車椅子の社員の参加は僕が初めてだったようです。
それから、様々な研修に参加させて頂けるようになりました。
勿論、出張もです。
あれだけ学生時代に勉強が嫌いだった僕が(笑)
楽しかったですね、他県の方とも交流もあり、多くの事を学べる!!
初めてですかねスポーツ以外の「勉強」っていう分野で「学ぶって楽しい!!」と思ったのは(笑)
多くの事を学び、研修時にはテンションが上がりました。
これを会社に帰って、どんどん実践しよう!!
会社に帰り、レポートを作成し仲間(部下という言い方は、あまり個人的に好きではないので…)と一緒に
実践していく。
今までの考え方が、180度変わるような感覚と、自分が我流で何となくやっていた事に、新しい気付き。
最初は新幹線と電車を使ってましたが、車で仕事が終わった後に出れば、大阪の枚方の研修センターまでは
岡山から、3時間くらいで到着します。
「誰も行った事がないから…」
「誰もやった事がないから…」
「前例がないから…」
「上等、上等(笑)」
「だったら、僕が最初に行きますよ!!」
その後、大阪枚方市の研修センターは完全なバリアフリー化、宿泊施設も車椅子対応のホテルのような建物となりました。
ここでも上記で書いたように「2通り」の人が居ました。
僕が研修や出張を通して、車椅子使用者でも色んなところへ会社側から行かせて頂けるようになり、他の車椅子の先輩なども
会社側から行って来い。
それが、当たり前になっていった頃、ある先輩に言われました。
「お前が、あんな事するから、俺らまで行かないといけなくなったじゃないか!!」
一方、「礎」を作ってくれて有難う!!」言って下さった先輩…
僕は人間って色んな「考え方」や「思い」があるけれども、大きく分けて2通りしかないと思っています。
あくまでも、僕個人的な考え方なのでご理解の程宜しくお願いいたします。
「行動する人としない人」
「出来ない理由ばかり考えて、発言してる人」
「出来る方法を考えている人」
「未来を見てる人」
「過去に捉われて生きている人」
「前例がないからと、前を向こうとしない人」
「前例がないなら、作ればいいと、それを模索している人」etc.
そう「二つの道」なのかなと…
僕がどうこうという意味ではありません。
その後、会社の中での意識も大きく変わりました。
「結果」も自然に出てきました。
ただ、大切なのは「一人でやろうとしない…」って事でした。
仲間と一緒に汗を流し、やり遂げた時の「達成感」は、今でも忘れていません。
「一人の百歩より、百人の一歩」
まさに、そうでしたね。
僕は、ただ単に「運」が良かったのかもしれません。
素敵な仲間に巡り会えて、共に働き、共に勉強出来た事。
今は、会社を辞め小さなパソコン教室を運営していますが、会社員時代に培ったモノは今でも、
活かされています。
勿論、パソコンだけではありません。
「考え方」「マネジメント」「努力することの素晴らしさ」「結果を出すためのマインド」etc.
「車椅子バスケ」も「車椅子マラソン」も同様でした。
なりたい自分になるために、どうするのか…!?
今日のBLOGは僕の自慢話しでも何でもありません。
学生時代の部活動の話し「勉強」させて下さった以前の会社のお話し。
「勉強出来る環境」「勉強しなければならない時」は、社会に出てから始まるのではないかと思います。
それは「与えられた環境があるから…」ではなく「自分の考え方次第」かなと…
『なぜ、日本人は働きだすと勉強しなくなるのか!?』Vol.3とし、次回は僕の話しは終わりとし、生徒様のお話しを少し…
勿論、すべての人が「働きだすと勉強しなくなる」という訳でもないし「勉強しなかった人がどうなっていくのか」
というところも深掘りしてお話ししたいと思います。
最後に、最近生徒さんにこんな質問をしています。
「YouTube」ってどこの会社が運営しているんでしょうね!?
皆さん「う~ん…!?」
「Google」ですよ~!!
そんな「YouTube」の中から面白い動画を見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=7CVOSSao9r4
橋本徹さんが、高学歴ニートに熱血授業をする映像です。
「なぜ、働かなくてはいけないのか…」と思っている若者へのメッセージ動画です。
「与えられた、その場で「燃焼」すること!!」のメッセージに心打たれました。
「MIND SET」
”ワンクリックで、未来は選択肢に溢れている!!”
「就活」「転職希望」「会社内」でパソコンの事を聞けず、悩んでいるあなた…
それ、全部 ”パソコン駆け込み寺 岡山下中野教室”にお任せ!!
「あなたの未来のための学校」
” School for your future”
本気で知りたい人だけにコツをお伝えいたします。
「初心者だから初めが肝心!!」
「あなたの街のパソコン駆け込み寺」
「お婆ちゃんでも、出来るWord、Excel」